不知火海に面し、豊かな自然に恵まれたこの地域で、水俣病が発生して半世紀になろうとしています。水俣病によってもたらされた健康被害、環境や地域の破壊は、かつて人類が経験したことのない規模と深刻さをもって現在まで続いています。
私たちは、和解による水俣病訴訟の解決を契機に、この地域で生きていく皆さん、そして全国の皆さんと力を合わせて、地球上から二度と水俣病のような公害による健康被害、環境破壊を起こさないよう「ノ−モアミナマタ」の願いをこめて活動をすすめていくために2001年7月24日、NPOみなまたを設立しました。
いつまでも安心して住み続けられるまちづくりに、また、豊かな地球を次世代に引き継ぐために力を尽くしていく決意です。
ここに設立趣旨書を掲載いたします。
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設 立 趣 旨 書
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1. 趣 旨 |
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不知火海に面し、豊かな自然にめぐまれたこの地域で、水俣病が発生して40年余が経過しました。
水俣病によってもたらされた健康被害、環境や地域社会の破壊は、かつて人類が経験したことのない、規模と深刻さをもって、現在まで続いています。
この中にあって、水俣病患者は、いつも現状を切り開き、解決の方向を示し、たたかい続けてきました。人権と名誉の回復、被害の救済を求めるこのたたかいは、1995年、26年にわたる水俣病裁判が和解によって終結し、一応の解決を見ました。
それまでのたたかいで、およそ15,000人の水俣病患者が何らかの救済を受けました。しかし、それは広大な被害のひろがりを水俣病患者の痛苦という形で証明しており、また、この数字に表れない多くの水俣病患者が救済されることなく亡くなっていることも歴史的事実です。
私たちは、和解による解決を契機に、この地域で生きていく人々と力をあわせて新たなまちづくりに挑戦しています。
また、一方で高齢化、過疎化がすすむこの地域では、介護保険を待つまでもなく、福祉の要求は根強いものがあります。多くの心ある人々によって、福祉・介護の営みのネットワークが積み上げられてきていますが、安心して生活するには、まだまだ課題が山積しています。
そこで私たちは、次のことに取り組むことを決意しました。
(1) 水俣病に関して
@ 水俣病患者、周辺住民の環境問題に起因あるいはかかわる問題点を調査し、改善の ための政策提言を行う。
A 水俣病に関する資料収集、調査・研究活動をすすめ、啓発活動を行う。
(2) これからの環境問題に貢献するために
@ 水俣病に関する情報や研究成果を国内外に発信し、交流を深める。
A 環境の保全、保護に取り組むみなさんとの協力、共同をすすめる。
(3) 水俣病患者を含む高齢化のすすむ地域の医療、福祉に関して
@ グループホーム、通所介護施設など地域の要求に根ざす非営利の事業活動に取り組む。
A まちづくりも視野に入れ、地域の医療、福祉のネットワークを広げ、強くするため
の活動を推進する。
以上を主たる活動とし、痛恨の歴史の反省に立って、水俣病患者さんや障害を持つ方を含めた市民が、この地域で安心して住みつづけられること。そして二度と水俣病のような公害による健康被害・環境破壊を引き起こさないよう「ノーモアミナマタ」の願いをこめて活動をすすめていくものです。
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2. 申請に至るまでの経過
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趣旨書にあるように水俣病裁判の終結を見る中で、同裁判の原告団長を提訴から終結まで務めた橋口三郎さんは、「水俣病とかかわり、自分と妻に(水俣病の)補償金が出たからこそ、得ることができた家と土地。今まで生きさせてもらった恩返しとして、何か世間の役に立ちたい」(南日本新聞、2001年1月1日付け)と思うようになりました。
2000年はじめに、橋口さんは、特定医療法人芳和会水俣協立病院(高岡滋院長)に、この旨を伝え、同病院は、この申し出を重く受け止めました。水俣協立病院は、痴呆を持った高齢者の施設として有効性が確認されてきているグループホームを1998年より運営しており、橋口さんの申し出と、それを生かしてグループホームを含む介護事業を橋口宅で行うことが結びつくのには時間はかかりませんでした。
ところで、橋口さんの申し出は、思いのほか多くの市民に支持され、介護施設開設のために力をあわせる動きができました。また、橋口さんが多くの患者、弁護士、研究者そして全国で支援をする人々と取り組んできた水俣病の取り組みを継続させていく大切さもあわせて議論されていきました。
そこで多くの善意を集めることができる市民によるNPO法人設立を決めました。
これまで、20数名が3回にわたって準備会をもち議論を重ねてきました。この中で水俣病と介護・福祉という分野で活動していくことを決定し、4月1日に設立総会を開催するに至ったものです。 |
2001年1月1日
特定非営利活動法人NPOみなまた
設立代表者
鹿児島県出水市住吉町9番16号
橋 口 三 郎 |